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特級畑のない白ワイン銘醸地のムルソー [ブルゴーニュ]

ムルソー村(Meursault)はピュリニィ・モンラッシェ村(Puligny-Montrachet)の北隣に位置します。

シャブリ(Chablis)やモンラッシェと並んで白ワインの銘醸地とされているムルソーですが、グラン・クリュ(特級畑)はありません。ペリエール(Perrieres)、シャルム(Charmes)、ジュヌヴリエール(Genevrieres)といった畑の名が知られていますが、これらはプルミエ・クリュ(1級畑)です。

シャブリでは樽香のない白ワインが多いのに対し、ムルソーとモンラッシェでは樽香を使う白ワインが主流になっています。

白ワインの特級畑を持つ2つのモンラッシェ村 [ブルゴーニュ]

ピュリニィ・モンラッシェ村(Puligny-Montrachet)とシャサーニュ・モンラッシェ村(Chassagne-Montrachet)は南北に隣り合っている村です。どちらも人口が400人前後の村です。ピュリニィ・モンラッシェ村の北隣りはムルソー村(Meursault)です。

ピュリニィ・モンラッシェ村とシャサーニュ・モンラッシェ村には合計で5つのグラン・クリュ(特級畑)があります。すべて白ワインを造るシャルドネの畑です。

2つのモンラッシェ村に広がっているのは次の2つのグラン・クリュです。
 モンラッシェ(Montrachet)
 バタール・モンラッシェ(Batard-Montrachet)

ピュリニィ・モンラッシェ村にのみ属するグラン・クリュが2つあります。
 シュヴァリエ・モンラッシェ(Chevalier-Montrachet)
 ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェ(Bienvenues-Batard-Montrachet)

シャサーニュ・モンラッシェ村にのみ属するグラン・クリュは1つです。
 クリオ・バタール・モンラッシェ(Criots-Batard-Montrachet)

ビアンヴニュ・バタール・モンラッシェとクリオ・バタール・モンラッシェはいわばバタール・モンラッシェの中に区切られた畑です。

「モンラッシェ」という言葉は村名、畑名、ワイン名に使用されています。強烈なブランド名です。

アロース・コルトンに3つのグラン・クリュ [ブルゴーニュ]

コート・ド・ニュイには25のグラン・クリュ(特級畑)があるのに対し、コート・ボーヌにあるグラン・クリュは8つだけです。そのうち、3つのグラン・クリュはアロース・コルトン村(Aloxe-Corton)にあります。

アロース・コルトン村は広さが3平方キロ未満、人口が200人未満の小さい村です。ここにある3つのグラン・クリュの名前は次の通りです。

 コルトン(Corton)
 コルトン・シャルルマーニュ(Corton-Charlemagne)
 シャルルマーニュ(Charlemagne)

グラン・クリュ「コルトン」は赤ワイン用のピノ・ノワールと白ワイン用のシャルドネを栽培していますが、「コルトン・シャルルマーニュ」と「シャルルマーニュ」はシャルドネのグラン・クリュです。

「コルトン」と「コルトン・シャルルマーニュ」はアロース・コルトン村だけでなく、隣接するラドワ・セリニー村(Ladoix-Serrigny)とペルナン・ヴェルジェレス村(Pernand-Vergelesses)にも広がっています。グラン・クリュ「シャルルマーニュ」はアロース・コルトン村とペルナン・ヴェルジェレス村に広がっています。

グラン・クリュの名前にある「コルトン」は丘陵の名前です。「シャルルマーニュ」はカール大帝のフランス語名です。

カール大帝は768年から814年までフランク王国の王として、ゲルマン諸部族を統合し、モンゴル系のアヴァール人やイスラム教徒と戦い、イベリア半島を除く西ヨーロッパの主要な部分をフランク王国として統一しました。ローマ帝国時代から一まとまりの文化圏として続いてきた地中海世界は、カール大帝によるフランク王国統一によって、西ヨロッパ世界、東ヨロッパ世界、イスラム世界の3つに分かれ、以降、それぞれ独自の歴史をたどります。

フランク王国の学者だったEinhardという人がカール大帝の人物像を記した『Vita Karoli Magni』という書物を残しています。それによると、カール大帝はローストした肉が大好物で、医師がロースト肉ではなくボイルした肉を勧めても、それに従うことはなかったと言います。

白ワインを生み出すグラン・クリュの名前になぜ、ロースト肉が好きだったシャルルマーニュ(カール大帝)の名が付いたのかは定かではありません。

世界遺産登録を目指すブルゴーニュのクリマ [ブルゴーニュ]

2012年2月、フランス政府はブルゴーニュの「クリマ」をユネスコ世界遺産候補に登録しました。2013年7月の登録を目指しています。

「クリマ」とはブルーゴーニュのぶどう畑の区画を意味します。優れたクリマはグラン・クリュ(特級畑)やプルミエ・クリュ(1級畑)に認定されています。グラン・クリュのワイン生産量がブルゴーニュ全体のワインの生産量に占める割合はわずか2%です。プルミエ・クリュは11%、村の名前を名乗るワインの比率は33%です。残りの54%は「ブルゴーニュ」という地方名を名乗るワインのぶどうを栽培する畑です。

クリマ(climats)の語源は気候や(気候からみた)風土を意味する英語のclimateと同じです。ブルゴーニュ地方で畑の区画をクリマと呼ぶのは、畑ごとの気候や風土を重視している現れと言えます。

実際、ドメーヌと呼ばれるブルゴーニュのワイン製造所は、一般にテロワールという言葉でぶどう畑の風土の独自性を強調します。しかし、一つの畑を細かく分割して所有し、それぞれのドメーヌが個性の違うワインを造っているのですから、ワインの味わいにはクリマの違いだけでなく醸造手法の違いも影響しているはずです。

ところが、カリフォルニアなどのワイナリーと違って、ブルゴーニュでは醸造の責任者(ワインメーカー)が脚光を浴びることはほとんどありません。

シャルドネの特級畑があるコート・ド・ボーヌ [ブルゴーニュ]

コート・ドール(Côte d'Or)の北半分はコート・ド・ニュイ地区(Côte de Nuits)、南半分はコート・ド・ボーヌ地区(Côte de Beaune)です。2つの地区は長い間、それぞれの伝統を守ってワインを造っていました。

ヒュー・ジョンソン(Hugh Johnson))著『ワイン物語』(The Story of Wine)によると、例えば醸造の前のぶどう果実の選別や皮を浸して置く時間なども二つの地区では違っていました。また、コート・ド・ニュイでは挿し木によってぶどうの木を増やしたのに対し、コート・ド・ボーヌでは取り木によって増やしました。取り木というのは元の木と切り離さない状態の枝の一部を土で囲む方法です。

ぶどうの栽培やワイン醸造に科学的な方法が取り入れられた現在では、2つの地区の伝統による違いは昔ほどではなくなりました。

グラン・クリュ(特級畑)の数はコート・ド・ニュイが25であるのに対し、コート・ド・ボーヌはわずかに8つです。コート・ド・ニュイのグラン・クリュはすべて赤ワイン用のピノ・ノワールを栽培していますが、コート・ド・ボーヌには白ワイン用のシャルドネを栽培するグラン・クリュがあります。
 
コート・ドール地図.jpg

ぶどう畑を分割するナポレオン法典 [ブルゴーニュ]

18世紀末に起きたフランス革命によって、教会や貴族が所有していたぶどう畑は政府がいったん没収した後、売却され、分割されました。

フランス革命後の1800年8月、ナポレオン・ボナパルトの指示により、フランス民法典の審議が始まりました。すべての審議が終了し、法典として成立したのは1804年3月21日です。フランス民法典はナポレオン法典とも呼ばれます。ナポレオン法典は均等分割相続を定めています。これによって、ぶどう畑は際限なく分割されていきます。

ブルゴーニュの格付けは畑を対象にしています。そして、その畑は相続によって小さな区画に分割されています。ブルゴーニュではぶどう畑のわずかな風土の違いがワインに与える影響が重視される傾向があるのは、均等分割相続の影響もありそうです。実際にはぶどう畑の風土の違いもさることながら、造り手による違いがもっとも大きい要素かもしれません。

複数村から成るコート・ド・ニュイ・ヴィラージュ [ブルゴーニュ]

コート・ド・ニュイ・ヴィラージュ(Côte de Nuits Villages)はコート・ド・ニュイ地区のAOC(原産地統制呼称)の一つです。フランス語でも村はVillageです。これに複数形を表すsを付けてヴィラージュ(Villages)です。

コート・ド・ニュイ・ヴィラージュは名前の通りコート・ド・ニュイ地区の複数の村で構成する村名格のAOCです。このAOCに含まれる村は、フィサン(Fixin)、ブロション(Brochon)、プレモ・プリッセイ(Premeaux-Prissey)、コンブランシアン(Comblanchien)、コルゴーロワン(Corgoloin)です。このうち、村の中にプルミエ・クリュがあるフィサン村のワインはフィサンというAOCを名乗ることもできます。

コート・ド・ニュイ・ヴィラージュにはグラン・クリュやプルミエ・クリュはありません。一つの村の名前では強烈なインパクトを与えることが難しい村々が寄り添って存在感を打ち出そうとしているAOCのように思えます。

ニュイ・サン・ジョルジュで特級畑の申請 [ブルゴーニュ]

AOC(原産地統制呼称)としての村名は行政区分としての村名とは異なります。例えば、AOCとしてのヴォーヌ・ロマネ(Vosne-Romanee)は行政区分としてはヴォーヌ・ロマネとフラジェー・エシェゾー村(Flagey-Echezeaux)を含んでいます。

ヴォーヌ・ロマネ村の南隣はニュイ・サン・ジョルジュ村(Nuits-Saint-Georges)です。AOCとしてのニュイ・サン・ジョルジュはニュイ・サン・ジョルジュ村とプレモー村(Premeaux)を含みます。

ヴォーヌ・ロマネにはロマネ・コンティ(Romanee-Conti)やラ・ターシュ(La Tashe)、ラ・ロマネ(La Romanee)など、8つのグランクリュがあります。7つのグラン・クリュは1936年から1937年に格付けを取得しました。残りの一つ、ラ・グランド・リュは1992年7月2日にグラン・クリュに昇格しました。

ヴォーヌ・ロマネの南隣にありながら、ニュイ・サン・ジョルジュには一つのグラン・クリュもありません。しかし、あるプルミエ・クリュの所有者らがグラン・クリュへの昇格をINAO(Institut national de l'origine et de la qualité)に申請中です。INAOは原産地統制呼称を管理する組織です。

申請された畑の名はレ・サン・ジョルジュ(Les Saint-Georges)。面積が7.52ヘクタールの畑で、複数のオーナーが分割して所有しています。INAOへの申請活動は2008年に始めました。グラン・クリュへの昇格は確実とは言えず、認められるとしてもまだ数年はかかります。

モノポールで名声を得る [ブルゴーニュ]

1930年代にブルゴーニュで畑の格付けが実施されたとき、ぶとう畑のオーナーの中にはグラン・クリュ(特級畑)に格付けすることを望まない人がいました。グラン・クリュに格付けされると高い税金を課せられるだけで、ほかには何も良いことがないと考えたからです。

グラン・クリュの格付けは、ワインの知名度とお値段を上げるのに有利に働きます。特にモノポール(単一畑)のグラン・クリュなら、申し分ありません。モノポールとは一人のオーナーが独占している畑のことです。モノポールを有する造り手は丁寧にワインを作り、畑の名(=ワインの名)を売ることができます。

グラン・クリュでも何十人ものオーナーが分割して所有していると、オーナーの皆が皆、良いワインを造るとは限らず、中には期待はずれのワインを造るオーナーもいます。すると、そのグラン・クリュのブランド価値が薄められてしまいます。

プルミエ・クリュからグラン・クリュに昇格 [ブルゴーニュ]

フランスの原産地呼称制度を管理する組織、INAO(Institut national de l'origine et de la qualité)がブルゴーニュで1930年代に行ったぶどう畑の格付けは、ほとんどそのまま現在に引き継がれています。

いったん定まった格付けの見直しを求めるにはINAOに審査を請求します。簡単ではありませんが、昇格は可能です。

実際、プルミエ・クリュ(1級畑)からグラン・クリュ(特級畑)に昇格した例がいくつかあります。最初に成功した畑は、モレ・サン・ドニ村(Morey Saint Denis)のクロ・デ・ランブレイ(Clos des Lambrays)です。1981年4月27日にプルミエ・クリュからグラン・クリュに昇格しました。

グラン・クリュへの昇格でクロ・デ・ランブレイに次いだのは、ヴォーヌ・ロマネ村(Vosne-Romanée)のラ・グランド・リュ(La Grande Rue)です。1992年7月2日にグラン・クリュに昇格しました。ラ・グランド・リュは丘陵を上下に走る道を挟んでロマネ・コンティ(Romanée-Conti)と向き合っています。

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